嫌いな人は自分の鏡その2~自分を緩めて「気を付ける」をやめる

前回書いたこちらの記事。
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今日はその続きです。

前回の内容をざっくりいうと、

嫌いな人は、
「私がやらないように気をつけていること」を
平気でやっている人であることが多い。

つまり

嫌いな人とは、自分が気をつけていることを映す鏡

ということでした。
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嫌いな人が多いとどうなる?

嫌いな人が多いという人は、

自分が気を付けていることがすごく多い人

ということになります。

自分の生き方や信念は、大事なときもありますが、
気を付けることが多い人生は、生きにくく疲れます。


嫌いな人が多く、いつもイライラさせられ疲れる。
どこに行っても嫌な人がいるから、環境を変えるのも億劫だ。


そんな人は、ちょっと自分に気をつけすぎかも。

嫌な人がいたら

アイツが嫌いだ~~~!

と個人の言動を振り返って反すうしたり、

なんでそんなことするの?

と言動の理由を空想しようとしたりしがちです。


それをちょっと抑えて、
その人のどういうところが嫌なのか、を考えてみましょう。

紙に箇条書きで書き出してみるのもいいかも。


書き出すだけ書き出したら、眺めてみる。


すると、

あ、私こんなにいろいろ気をつけてるんだ。

と分かると思います。


自分がどんなことに気を付けて生きているのか、
その癖が分かってくるだけでも、
違うんじゃないかな、と思います。


嫌いな人を通して
自分がどんなことに気を付けているかわかったら、
気を付けるのをすこし緩めてみるのもいいかもしれません。

ちなみに私は・・・

前回の「嫌いな男子」に象徴されますが、

調子がよく、相手や場によって態度が違う人が大っ嫌い!

自分に実害がなくても、
そういう人のことは嫌いになるという
徹底&公平ぶり(笑)

でも、こういう態度を貫くのは本当に大変で。

自分自身が行動するときに

「人によって態度を変えてもOK!」
「むしろ態度を変えるほうが対個人の場合は誠実かもしれない」

と考えることで、少しラクになりました。

実際、特別扱いされるのって、嬉しいですよね。

家族や恋人と、それ以外の人に対して、
同じ態度を取りますか? って話です。

そもそもどうして恋人と親しくなれたのか?

他の人と違う態度(特別扱い)になったから、
という要素も大きくないですか?

態度を変えることで喜ぶ人もいるんですよね。

相手ではなく自分を許す

あの人のことが嫌い!とか相談すると、

「そういう自分はどうなの?
 自分だってそういうところあるんじゃない?
 だから相手のことも許してあげなよ」

と言われることがあると思います。

まぁ、よくある正論ですね。
でもこんなこと言って事態が収まるの見たことないわ(笑)

怒ってる人に火に油を注ぐセリフです。


油を注がれた人は、

「じゃあ私がそうならなければいいんだね!
 私がそうじゃなければ、当然、相手を責めてもいいよね!」

となり、余計に気を付ける人生になります。


だから、逆。

相手を許すのではなく、自分を許すんです。

相手の嫌いなところを書き出した紙を眺めて、

ああ、私、こんなことに気をつけているんだな。
これだけ頑張ってきた私なら、
ちょっとくらい気をつけなくたって、
おそろしいことは起きないよ。

大丈夫。


そう自分に声をかけてみてください。

責めるために気をつけていませんか?

自分が気をつけて頑張って、
そうしないように努めるのはなぜでしょう?

よりよい自分になるため、かもしれませんが、
もしかしたら、
相手を責める自分を正当化するためでもあるかも。

自分が気を付ければ気を付けるほど、
相手を許さなくてもいいことになります。

だって私はちゃんとできてるから責める権利がある!

・・・でも、それって楽しいかな?

相手を責める免罪符を得るための努力と、
自分を緩めて相手も許せるようになる努力と、

どっちにエネルギーを使ったほうが良いと思いますか?


私は・・・
自分を緩める努力をするほうを選ぼうと思います。

そのほうがラクになれそうな気がするから。