どんな私がきれいだろうか?

個人的なことだけれど、

4月から生活が変わり、
コロナだから、という理由だけでなく、
以前より行動が制限されている。

オンラインでいろんなことが学べるようになったから、
学びは続けているけれど。

そんななか、月1のウォーキング講座に行っている。

半年のクラスで、来月で終わり。



講座が終わるまでに

「~~な私は、きれい」という文章を
100個作ってノートに書く

という宿題が出ている。


出されてすぐ、数日かけて20近く書いたんだけど

そのあとバタバタしてほったらかしになっていた。


お盆休みでダラダラしてる中、

講座があと1か月で終わることを思い出し

ノートを開いて4か月前に書いたものを見た。

  • 部屋をきれいに片付けたいと思う私は、きれい
  • 向上心のある私は、きれい
  • ベランダガーデニングを楽しんでいる私は、きれい

なんかちょっと恥ずかしいような、
息苦しいような感じだ。

なんだかポジティブなことをひねり出しているような。


内容は、実際そうなんだけど、
そんなのばかりで、ちょっと、きもちわるい。

なんだろうな、なにか違う。

もっと読んで嬉しくなるとか、
楽しくなるのとか、
いや、もっとフィットする言葉ってないのかな?


考えていて、ふと思いついた。


「キライなものが多い私は、キレイ」



「キライ」という感情が「きれい」なのかは「?」。


でもこのフレーズはなんだか面白くて、

実際私は嫌いなものが多いし、


なんなら

「許せないことが多い私は、きれい」

も、かなり、いい。


なんだか面白くなって、そこから一気に20個近く書いた。


そんな私が「きれい」なのかはわからないけれど。(2回目)


よいもわるいも、ありのままの私でいることが、

人間的で、きれいと言えるのかもしれない。