「嫌いな人は自分の鏡」というけれど、そこには何が映っているのだろうか?

5月から心の勉強をしています。

今回も楽しかった!


今日は「嫌いな人」の意味について書いてみます。

嫌いな人は「鏡」

よく「嫌いな人は、自分の鏡である」と言います。

自分と似ている人を嫌いになる、とかいうけど、
それってけっこう、
受け入れがたい言説ですよね。


自分が、嫌いなアイツと似てるうぅぅぅ???
じょぉぉぉだんじゃないわい!!!


って、思いますよね。
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もうひとつのパターンもあります。


私、小学生の時に大っ嫌いな男子がいまして。

当時、母親にその男子のことを
大っ嫌いだ!としつこく言っていたら、


「そんなに言うってことは、
 あなたはその人のこと好きなんだよ」


と言われ、絶句。
以後、この話を母にするのをやめました。

「いやよいやよも好きのうち」的な?
これもないよなぁ。あり得ない。

そのままを映すわけではない

嫌いな人は「鏡」というけれど、
それは自分の姿を映しているというわけではない。

自分のなかの「何か」が、
その人を通して現れているということ。

「何か」の多くは、
できるだけ自分がそうならないように気を付けていること。


例えば、私がその男子を嫌いだったのは、

・お調子者ですぐ調子に乗ってヘラヘラする。
・自分勝手で周囲にえらそうに指図する。
・人をバカにする。弱いものいじめをする。
・先生や自分が好きな人には調子がよく好かれる。

からでした。

んで確かに私、

・調子に乗ると梯子を外されるからダメ
・自分勝手と思われてはいけない
・弱いものは守らねばならない
・人にはすべて平等公平に接するべき

と思ってたんですよね。
(今でも少なからずそう思っています)

で、自分にそういうところがないわけではないので、
そうならないようにすごーく気を付けていました。

憧れているわけではない

嫌いな人は、

自分の中にあるそういう部分を
出さないように気を付けている から嫌い。

と考えれば、自分と似ている、という表現になるかも。

自分にはできないことをやっている から嫌い。

と考えれば、憧れとか好きとか?
そういう表現にもなるかも。


・・・でも、ちょっと違いますよね。
そんな単純な表現では説明しきれません。

「嫌いな人は、実は自分と似た人」
「嫌いな人に、実は憧れている」

という表現は、

極端な言いかたにして
深層心理をズバッと突いたような気に
なってるだけじゃないのかな?

あくまでも、
嫌いな人は自分の中の「思い込みや価値観」を映す鏡。

それはモヤモヤしてなんか曇ってる(笑)

それに気づくための「鏡」。

「嫌いな人は鏡」という言葉は、
そんなふうに捉えるといいのかもしれません。



・・・ちょっと長くなってしまったので、続きます。

嫌いな人がたくさんいたらどうなるか?
嫌いな人がいたらどう考えたらいいのか?

ということを次回書きます。