子育て本から見えた、コントロールされるのが大嫌いな私。

先日、SNSで流れてきた記事を読んで、こんなことをつぶやきました。

 

高濱先生の本は、1冊読んだことがあります。

▼こちらの本です。

もうすぐ5歳の長男。

一時期、男の子の育て方に悩んで

「男の子の子育て」系の本を何冊も買いました。

そのなかの一冊です。

 

 

 

気になったところ

まずは、ネットの記事で気になったところ。

僕は、彼も相当がんばったけど、それを支えたお母さんもすごかったと思います。彼は、放っておいたら転落の人生だったかもしれません。元々できないことが多くて自信がないうえに、お母さんまでがそれを気にしてアレコレ言って注意していたら、心の底から「自分はダメな子なんだ」と思ってしまったかもしれません。 

がんばっても成績が悪かった子が伸びたワケとは?【花まる学習会】 | ママスタセレクトより

全体を通して読むと、ふむふむ、参考になる話だな~、

と思いますが、

私はどうしても太字のところが気になりました。

 

前出の書籍の中では、ダメな若者の例が出てきました。

入社してきた若者で、保護者にも横柄な態度をとり、

結局うまくいかず辞めていった、という人の話です。

この若者には、幼児期にこんな体験が足りなかったのでは? という話でした。

※高濱先生は、「花まる学習会」という塾を経営されています。

ダメな大人になってしまう、という前提

今(幼児期)対応しておかないと、将来転落の人生を歩んでしまう。

幼児期の対応を誤ると、ダメな大人になりどこへ行ってもうまくいかない。

 

私はそんなメッセージを、この記事と本から受け取ってしまいました。

たぶん、実際にそこまで言ってはいなくて、

「大人になってから生きにくさを解消することについては、ノータッチ」

というだけのことなんだと思いますが。

 

大人になって苦労しないように幼児期に親がしっかりみてあげましょう、

というスタンスは、

「メシが食える大人に育てる」という高濱先生の理念と合致しています。

 

でもこの前提は、私にとってものすごく苦しいです。

 

人は、いつでも変わることができます。

幼児期に上手く育ててもらえなかったとしても、

自分で気づいたり、その後の人間関係や出来事で、

人は変わることができる。

と、私は信じています。

 

保護者とうまくやれず辞めていった若者も、

この体験や、その後の人間関係の中で気づきがあり、

今は変わったかもしれません。

先生の会社では変わることができなかっただけ。

 

そんなことは当たり前として幼児期の大切さを語っているとしても、

ダメな大人にならないために〇〇する、という前提がとても苦しいのです。

子供に少しでもハンデを追わせたくないという親心はわからないでもないですが。

大人からのコントロール

子供を不登校にさせないために、とか、

社会でうまくやるために、結婚できる大人に、とか

私は、そういう育児本が苦しくなるようです。

どうしても、私が子供の立場に立ってしまうからです。

 

いろんな方法が提示されますが、根本にあるのが

(私が)失敗作にならないようにと、大人から操られそうになる感じ。

そこに、私(子供)の意志や個性はあまり関係がなく、

疎外されたような気持ちになってしまいます。

 

子供を大事に育てよう、というマインドはきっと同じ。

方法も、素晴らしいものもある。

でもその目的が「社会に適合する人間に育てる」というところに、

私は、大人からのコントロールを感じ、息苦しさを覚えます。

そんな大人が思った通りに、やった通りに、子供は育たないよ。

調子に乗るんじゃねぇ!大人め!!

と、私の中の子どもの私が言っています。

私が欲しいのは「子供目線」

一方で、楽しく読めた育児本もありました。

▼保育士出身の原坂先生の本です。

今回読み返すと、最初のほうに

男の子の代表になったつもりで書いてみました。 

とあり、 あ、それでか、と腑に落ちました。

心が軽くなる記述が多く、前向きに取り組みたい気持ちになりました。

 

本を読み比べることで、

私が欲しいのは、子供の側に立った目線であり、

子供(人間)自身の持つ力を信じて見守る視点なのだ、と思いました。

 

最初に挙げた記事も、

結果的には、子供を信じたお母さんの態度が、子供を伸ばした、

という話です。

「もうちょっとテストの点気にしようよ・・・」

「できないことが多くて自信がないと転落しちゃうかもよ・・・」

という外圧から、ちゃんと子供を守れたんですね。

でも「子供を伸ばす」という目線で書かれていることに違和感がある(;^_^A

まとめ

育児本なんて、だいたいどれも同じことが書いてあると思っていました。

お母さんの笑顔が大事。子供を肯定的に見よう。

だいたいどこにもそういうことが書いてあるでしょ?

 

でも、同じような方法が書いてあっても、

その意図は全く違うこともあると感じました。

 

先の記事も、

最終的には「母が子供を信じることが大事」という話だし、

私の言いたいことも「子供の力を信じてほしい」なので、

見える結論は同じなんですね。

 

それでもちょっとしたことで違和感を感じるのは、

その背景にある目的だったり、前提だったりします。

 

子供時代をこう過ごさないと失敗する、という空気を感じる育児論は、

結論が同じでも受け入れがたいです。

でも、結論が同じでも、別の立場から発せられている育児論もある。

 

どの立場からの言葉なのか。

人の心に響かせるには、そのスタンスがかなり大事なんだなと感じました。

 

みなさんはどうですか?