アドラーの「ほめてはいけない」を自分なりに解釈する。

ブログ仲間で、臨床心理士のナナホシさん。
トットちゃんとカモメとパン

子どもの発達に関する別のブログを開設され、
興味があるのでいつも読んでいます。

で、この記事を読んで
「ほめ」を意識するようにしています。
ママが自分の声掛けをふり返ろう―「褒め」てのばす発達障害&グレーの子育て― | 発達でこぼこ相談室 ー脳科学を味方につけた発達障害&グレーの子育てー

ほめていても、声かけの量が
ほめ < 叱るになってしまっていると子供に届かないよ、
というのが印象的でした。


ところで最近子育てジャンルでも人気の
心理学者アドラーは、
「ほめてはいけない」と言っています。


私もちょっとずつ本を読んでいますが、
これがどうしてもひっかかるのです。


私なりの解釈を考えてみました。




アドラーがほめてはいけないというのは、

・ほめられるために行動するようになるから
・上下関係になってしまうから

というようなことのようです。


いいことしたらご褒美をあげる、
みたいなことの禁止でしょうかね。

それなら少し理解できます。


でもねぇ。
「ほめてはいけない」っていうのは、
実践するのは難しいです。

特にこの言葉だけが切り取られて、
その言葉通りで受け取ると、

「ほめない」=単に厳しい態度

になってしまうような気もします。


子どもに対して肯定的な態度や言葉がけをすることが重要、
ということはよくわかるし、
そういわれれば実践ができそうです。


でもそこで「ほめてはいけない」と言われると
どうにもできなくなる。


アドラーに関する本(主に岸見一郎先生の著作)を読むと、
アドラーは人をそんなジレンマに陥れたくて
「ほめてはいけない」と言ったのではないと感じます。

むしろ、現実に生きるのが苦しい人をなんとか救いたくて、
その心理学を発展させた人。

なので、自分の心理学が
「あれしちゃいけない」「これはダメ」とかのメッセージで
人を苦しめているとしたら、それはきっと悲しいだろうな。


そう考えると、私は、
アドラーの「ほめてはいけない」を
次のように解釈したいと思いました。


アドラーは「「ほめ」じゃなくてもいい」と言っている。


肯定的な言葉かけとは、必ずしも「ほめ」ではない。

「ほめ」という形ではなくても、肯定的な態度は可能である

というぐらいに捉えることにしました。


私は子供ををコントロールするためにほめて
言うとおりに動かすようにしたいわけではない。

自分を肯定的にみることができ、
自分の良さを良さと認められる人になってほしい。

そう思って発する言葉は
「ほめ」であろうと「ほめ」じゃなかろうと、
まぁ、どっちでもいいんじゃないだろうか。


そんなことを考えていたら、
発達ブログでこんな記事が公開されていました!
幼児を「褒めて伸ばす」が脳科学的に正しい理由―発達障害&グレーゾーンの子育て― | 発達でこぼこ相談室 ー脳科学を味方につけた発達障害&グレーの子育てー


やっぱり「ほめ」推奨・・・!(笑)


アドラーを読んで声かけ迷子になっている方・・・

まずはほめてみてもいいんじゃないでしょうか?

私はそうしようと思います。
まずはそこからでいいや~。
 
 
私が読んだアドラー関連本はこちら。